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私とプロ野球とベイスターズと。ベイスターズ、CS進出おめでとう!!


隙あらば自分語りシリーズ

私とプロ野球とベイスターズと

正直に言うと、私はにわかベイスターズファンである。

ただし、プロ野球ファンとしてはにわかではない自負がある。

まだまだ皆さん覚えている方がたくさんいられると思うが、少し昔は毎日毎日、民放で野球中継がやっていた。読売巨人軍の試合がやっていた。

私の父親は、神奈川出身で縁もゆかりもないはずなのに※1巨人ファンであり、幼い私もなんとなく選手を教えてもらい野球中継を見ていた。

1994年には優勝パレードの見物にいったし、1998年には読売ランドに自主トレの見物にもいったりした。ちなみにこの時、現巨人軍監督の高橋由伸氏からサインをもらったのはけっこうな自慢だ。野球カードの収集にもハマってこづかいやお年玉のすべてをつぎ込んでいた。と、いうか野球カードで商売もしていた。(この話をすると長くなるのでまたの機会にする)

初めて球場観戦したのは1997年の巨人軍とヤクルトの試合で趙成珉選手がばったばったと三振を奪っていく姿にはとても痺れた。だから子供特有の思考停止で他のチームの特徴や成り立ちを知りもせず、なんとなく自分は巨人軍のファンなんだとそう思い込み、公言していた気がする。なにせ先ほど述べたように毎日巨人軍の試合がテレビ中継されている時代。学校でも巨人の話をしていれば話題ができたし、むしろ多数派であったしなぜに自身が巨人ファンであるのかなんて疑問にも思わなかった。

そんな私が巨人軍の中で一際大好きだった選手が一人いる。松井秀喜氏だ。もはや説明不要の実績を誇る松井氏であるが、毎年成績を上げていくその姿は本当にヒーローだった。

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少しの月日が流れ、中学1年の時に野球部に入部した。友達と遊ぶ時も野球のテレビゲームをすることがほとんどだった。巨人軍ばかり使っていてもつまらないので、なんとなくユニフォームがかっこいいからと渋くてかっこいい選手がたくさんいたので千葉ロッテマリーンズを使用することが多くなった。元来私は人と変わったことを好む性質ということもあり、まわりにマリーンズファンもいなかったことからこの時あたりからマリーンズファンを公言していくようになる。千葉に移転する前は川崎が本拠地ということもあり、※2ロジック的にも悪くない気がした。この年は、イチロー選手が海を渡りメジャーリーグという最高の舞台で首位打者・盗塁王を取得し松井氏もメジャーに、という風潮が高まっていた。

そして、この少し後に松井氏は本当にメジャーリーグに進出する。

この辺から私の中の野球観というものが変化していく。

どうにも、野球中継を見ていてもワクワクしないのだ。

いや、少し語弊がある。巨人戦を見ても、だ。

野球愛が薄れていたわけでは決してない。毎日チェックするマリーンズの試合結果にはワクワクしたし(この時マリーンズは4位が定位置だったので勝ったり負けたりが本当に楽しかった)好きな野球選手たちの個人成績を見るのも楽しかった。メジャーリーグの松井氏とイチロー選手の成績のチェックもワクワクしていた。

私はこの辺で明確に自分の感情に気付いたのだ。私は別に巨人軍のファンではない。自分で選んでファンになったわけでもない。ただ、巨人軍というコンテンツしか選べない環境で与えられてしまったものに満足して巨人ファンと思い込んでいただけにすぎない。私は巨人ファンではない。松井秀喜ファンだったのだ。なので松井氏がいなくなり巨人戦がワクワクしなくなったのだ。

人は与えられたものを受け取るだけでは成長できない。自分で選択し、その手につかまなければいけない。

こう気づいた頃から私は巨人ファンを公言することを止めた。感情を明文化することで、より人は確固たる意志が生まれる。こうして私はプロ野球ファンになった。マリーンズはファンのままだったが、主としてのファンではないという気持ちがあり、結果をチェックし勝てば喜ぶというだけであった。

また少しの時がたち、高校生になり私は硬式野球のプレイヤーとなった。

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プロ野球選手が使用しているものと同じボール。厳しい練習。遠征と合宿。さながら戦闘潮流なそのエキサイティンな日々にプロ野球観戦は生でもテレビでもまったくしなかった。高校球児にはこういう人がとても多い。本当に忙しく、野球を見ている暇がないのだ。ただし私はプロ野球マニアである。この時期も携帯を駆使し選手個々の成績や勝敗をチェックし、週刊ベースボールを愛読していた。

月日は流れ、戦いの日々が終わり私は大学生となった。

大学生は高校生の頃に比べ、使うことのできる資金と行動範囲が大きく広がる。余暇も増える。

友人たちと月一回程度野球観戦にいった。私の住む都心へのアクセスの良い神奈川県小田原市。神宮球場、東京ドーム、そして横浜スタジアムによく足を運んだ。セリーグに特に贔屓のチームはなかったが、どのチームにも好きな選手はたくさんいたし、高校野球が終わってからはただ単にレベルが高いプレイを見るだけでワクワクして、楽しかった。野球が見れればなんでも良かった。

特に、近くて空いてる横浜スタジアムにはかなりの頻度で足を運んだ。夏休みなんかは週一に近いペースで足を運ぶときもあった。この時の横浜スタジアムは本当に快適で、全然人がいないし事前予約しなくてもいけばチケット買えたしで言うことなしだった。

それともう一つ横浜スタジアムに行く理由があった。私たちの仲間で一人熱烈な横浜ベイスターズのファンがいた。彼が野球観戦を企画するので必然的に横浜での観戦が多くなったのだ。2007年から2010年の間に何度足を運んだだろう。

三浦選手の完投ピッチング、クルーン氏の160km、吉村選手のサヨナラホームラン、下園選手の選球眼。いろんなプレイを見て楽しんだ。

ファンのチームがないといってもやはり勝負事。どちらかのチームが勝利し、そちらかが敗北する。現地で試合を見るのならば感情移入してみたほうが楽しさは増える。

ベイスターズ側の応援席に座ってベイスターズの試合を見ているとなんとなくベイスターズの勝利を願っての観戦が多くなってきた。このころのベイスターズは暗黒時代真っ只中。毎年最下位。それもただの最下位ではない。5位のお尻も見えないくらいのダントツの最下位。

2009年ごろのことだ。これでも私はベイスターズファンということを公言せずにいた。と、いうのもなんとなくまだファンといえるレベルではないような気がしていたからだ。前述の通り、共に野球観戦をする仲間が熱狂的なベイスターズファンだったこともあり、そのレベルにまで達しないとベイスターズファンとはいえないような気がした。

になにをするにも最高峰を目指してしまう(かといって最高峰になれるわけではない)自身の悪癖でもある。

そんなこんなで横浜スタジアムに年に幾度も足を運ぶがベイスターズファンではないという状況が続いた。しかし、そんな私にもベイスターズファンになりうる転機が訪れた。

2011年の終わりの頃、当時の横浜ベイスターズの親会社がTBSからDeNAに変更されることとなった。このころは一般的にDeNAはモバゲーを運営する会社という認識でモバゲーベイスターズになるんじゃないかという憶測をなされ、モバゲーベイスターズをイメージしたユニフォーム画像まで作られた。

私は、モバゲーベイスターズになるかもしれないこと、大歓迎であった。近年ではだいぶそのイメージも薄れたが、プロ野球界はまだまだ新しいことやシステムの導入やITとの連携があまり早くはない。モバゲーを運営するような企業ならばそんなしがらみはなく、最新のシステムや自社のIT産業とからんだ運営をしてくれるのではないか、と。

実際にその目論見は当たり現在ではベイスターズの観客動員率はものすごい飛躍を見せたし、スタジアムやスタジアム周りの環境も大きな進歩を遂げた。

DeNAになってから導入されたシステムで私が一番気に入っているのはスマホのアプリにチケットを登録できるシステムだ。なんと紙のチケットいらずで、スマホのアプリ上でチケットの受け渡しができてしまうし、観戦した試合の記録も残る。チケットは紙で忘れてしまう可能性がある。しかし、このご時世よっぽどのことがない限りスマホなら忘れないし、忘れてもすぐに気づく。とても便利だ。

このようにDeNAになったことで数多くの恩恵があったが、私には一つだけ不安要素があった。

中畑清氏がベイスターズの監督になるという報道がなされていた。本当に失礼な話で見る目がない一野球ファンの戯言として聞き流してほしいのだが私は中畑氏が監督になることが不安だった。

中畑氏といえば、「絶好調」で知られる熱い男だ。だが、監督としての経験はアテネオリンピックで長島茂雄氏の代理監督を務めたことくらいしかなかった。

ベイスターズは弱い。そんな弱いチームを立て直すには素晴らしい監督経験のある人でないとダメなんじゃないかと。監督としてペナントレースを戦い抜いたことのある人でないとダメなんじゃないかと。そう思い不安を抱いていた。大丈夫かな、と。

2012年シーズンが始まり、ベイスターズはDeNAになったことによる快進撃を、ということはなく案の定負けの方が多い日々であった。しかし、いつもとは違うことがあった。それはメディアへの露出の多さだ。中畑氏は巨人軍に在籍していた経験からかメディア受けするパフォーマンスがうまかった。そして、ほんとうに熱かった。チームが負ければ悔しがり、勝てば心の底から喜ぶ。

そんな中畑氏を見ていると見ている方も感情移入し、負ければ今までより悔しく、勝てば心の底から嬉しくなった。

中畑氏はパフォーマンスとはいえ、演技ではないからこそ熱さが伝わってきた。

よくよく考えればそりゃそうだろう。だって中畑氏はこんなに負けるチームに所属していたことがないのだから、悔しくてしょうがないだろう。

そうして私は毎日毎日ベイスターズの勝敗をチェックするのが楽しみになり、人様にも堂々とベイスターズファンを公言することになった。

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2012年。まだたったの4年前。やはり恥ずかしいがにわかファンだ。

はてさて、巨人ファンを止めたというところでも書いたが、人は感情を明文化することにより、意志が確固たるものになる。ベイスターズファンを公言するようになってからの私はベイスターズファンとして振舞った。もちろんプロ野球全体は大好きで他の球団にも好きな選手はいて福岡までWBCの予選を観戦しにいったりもしたが野球界での優先度1位はベイスターズだった。

相変わらずベイスターズは弱いじゃないか、と言われたがそうではなく2012年、13年14年と順当に強くなっていった。5位のお尻が見える6位になり、5位になった。快挙だ。

そしてなんといっても極め付けは2015年。この時のことはよく覚えている。前半戦を首位でターンしたのだ。このまま首位は難しくとも、Aクラスは間違いない。初のCSだ。そう確信せずにはいられなかった。それは過去のデータでも示していたし、前半戦首位ターンのチームは最下位になったことがない。

だが結果はみなさんご存知の通り最下位。

前例を覆してしまった。だが、若い選手たちの活躍に翌年への希望はあった。

今年は中畑氏からラミレス監督に変わった。

4月は大きく負け越してスタートした。やはりいつもどおりか・・・こう思ってしまった。しかし、今年のベイスターズは違った。粘り、大型連敗の少なさなどから必死にくらいつき9月でもAクラスにいた。間違いなく去年の教訓も活かしペナントレースを戦っている。

それでも昨年の例があるのでまったく安心はできない。CSにいけるのか、いや、もしかしたらいけないのではないか。一進一退の戦いが続く。

9月19日。139試合目。歴史が変わった。ベイスターズは制度始まって以来のCS進出を決めた。それも完璧な勝利で。快挙だ。あの、負けられないヒリヒリした戦いを。数多くのドラマを生んだCSにベイスターズが出場する。楽しみでしょうかない。私は今年は仕事が忙しく、3試合しか観戦にいけていないがその全てに勝利している。CSはいまのところ、1stでいくつか観戦にいけるかというところ。ファイナルはおそらく無理だろう。日本シリーズならいける。

日本シリーズにいける可能性は、まだある。がんばれ!ベイスターズ!!

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追記

このブログを書き始めたのがCSの進出が決まってからであったが、想定していたより多くの文章量を書いてしまったため、述べ3日間ほどかかってしまった。

そんなおり、ベイスターズの大エース、ハマの番長三浦大輔投手の引退の西ュースが飛び込んできた。このことについて言及するとまた倍くらい記事を書かなくてはいけなくなるためここではただ一言「悲しい」とだけ述べておく。しかし、言いたいのはこのことではない。

実は、私は永らくベイスターズと共にBクラスにいた今年のセ・リーグ優勝チーム広島東洋カープにある種のリスペクトを抱いていた。

個性的なグッズや特集、カープ女子、雰囲気のいいスタジアムなどなど選手の補強をほとんどすることなく、まっとうな努力で少しずつステップアップし今年ついに優勝を果たした。

私はクライマックスシリーズという制度が大好きで、盛り上がるし素晴らしいと思うが今年は広島東洋カープが日本シリーズに順当に進出し、日本一になってもらいたいなぁという感情まで抱いていた。

しかし、三浦投手が引退するならそうもいっていたれない。広島東洋カープに気を使う必要なんてそもそもハナからない。なんとしてもベイスターズにはCSを勝ち進んでもらい、三浦投手にもう一度日本一を味あわせてほしいものだ。

1998年 。あのころ私は前述の通り巨人軍のファンであったがベイスターズの38年ぶりの優勝、そして日本一の熱狂をよく覚えている。横浜が、いや、神奈川県が盛り上がった。しかし、恐るべきやDeNAのマーケティング。今年の集客数はそんな98年を上回っているという。勢いはこちらも負けていない。日本一で有終の美を!!

追記の追記:名球会という制度がある。200勝または2000安打または250セーブで入会できるあの制度だ。最近は分業制が確立され、投手の200勝は難しくなっている。三浦投手も届かなかった。2000奪三振も入会基準になれば三浦投手も入会できる。2000奪三振、だいたい2000本安打と達成の難易度的に近いものがあるような気がする。どうでしょうか・・・

※1当時は、テレビ中継の影響でこのような人が本当にたくさんいた。

※2私はロジックなくして物事が起こせない。

UMEMARU Inc.代表

守屋佑一

隙あらば自分語りシリーズ

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