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梅丸復活秘話5


梅丸復活秘話1

梅丸復活秘話2

梅丸復活秘話3

梅丸復活秘話4

90年代後半になると梅丸を活用した取り組み、というのはもうほとんど見なくなった。しかし、かすれた市役所の壁の絵や歩道の絵は消されず、曽我の水道も残り知る人ぞ知るが表舞台には決して出ないキャラクターとなってしまった。

しかし、少なからず梅丸のことを活用し、使い続けた団体もあった。

この写真を見て欲しい。これは農協のみかんの出荷箱の側面だ。梅丸が描かれている。しかし、みかんの箱だからか梅丸の顔がオレンジに塗られている。このダンボール、梅丸がフィーバーしていた90年初頭に作られたのかと思いきや、そうではなく、1999年から2000年ごろに作られたようだ。なぜ、梅丸がまったく使われていないこの時期に梅丸を使おうと思ったのだろうか。真相はいまもわからない。

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私は梅丸の存在を知っていた。90年代後半、この時通学路の梅丸を見て私はどんなことを感じていたのだろう。慣れとは恐ろしいもので多分なにも感じていなかった。おそらく大多数の市民がそうだったのではないだろうか。でもそれは私たちがかつての梅丸を知っていたからの慣れに過ぎない。外から来た人やもっと下の世代の梅丸を知らない人々はかすれた梅丸を見て一体何を感じ、何を思ったのだろうか。

世にも珍しい一度消え去り、それでも不死鳥のように復活した梅丸。

彼はどのように復活し、今また世に現れたのか。

大好評の衝撃連載、現代の小田原大河でもある梅丸復活秘話。今週からは真相に迫る「復活編」に突入する。

時は少し飛んで2010年。くまもんが世に現れ、一躍スターにとなる。同時に世の時流は地域にスポットを当てることに移っていく。

くまもんという超新星の効果かご当地ゆるキャラが量産されていく。

この時、小田原在住の一人の大学4年生が就職も決まり全国を旅して回る。そんな折、たくさんのお土産を目にし、くまもんなども目にし、その青年に一つの思いが生まれた。小田原はなぜ、梅丸を使わないのか。今でこそ梅丸を使うべきじゃないのか。他にも全国には小田原には足りない観光商品がたくさんある。そんな小田原へのやきもきした思いを抱いた。

また時が少し進み。2013年初頭。その青年は社会人になり、少しの経験を積み市民活動を始めていた。そして「小田原ときめき研究会」を思いを同じくする仲間と作った。熱心な読者は以前この連載で取り上げた「小田原ときめき夢まつり」を覚えているだろうか。

そう、市政50周年で梅丸誕生のきっかけとなったあのまつりだ。

そのまつりをもじったこの研究会は、梅丸復活について研究し、実行するための団体だったのだ。歴史というのは簡単に変わる。ちっぽけな一人の人間が動いたくらいで変わる。小田原に北条早雲が西からやってきて歴史が変わり、明智光秀が動いて信長が破れ歴史が変わったように。

歴史とは一人一人が考え、行動し、その積み重なりが大きな歴史となる。

この団体ができたことで、歴史が変わった。梅丸がこのまま衰退し続けなくなるはずだった歴史が修正され、梅丸は復活し、今の小田原でしっかり姿を見ることができる。どのように歴史がかわったのか。その真相とは。

続く。


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