震災から5年。


日本国民の誰もが忘れられない日となった2011年3月11日。

早いもので、5年の時が経った。

もう5年。まだ5年。

あの時のことは今でもよく覚えている。

私は大学の最後の春休みということもあり、四国に友人と卒業旅行に来ていた。

松山城に登るケーブルカーの中で何気なくSNSを見たら小田原にいる知人たちがなにやら騒いでいた。はっきりと地震とは書かれていなかったので、一体なにが起きたのだろうという感じでぼんやりと眺めていた。

ケーブルカーに同乗していたおじさんが関東大震災が来たらしい、ということを話していた。僕らは関東から来たことを告げた。不安になった。

情報が錯綜していた。

SNSやインターネットの発達から瞬く間に被害状況等が出回った。

けれども、この規模の震災であれば正確な情報を取得するのは難しかった。

関東大震災ではなく、東北の地震だったとわかったのは何時頃だっただろうか。

ガス火災の影響で悪い物質が雨と一緒に降ってくるというデマメールも流れていた。

四国を旅行中なので、テレビが自由に見れる状況ではなかったため車内でラジオをつけた。

原発のメルトダウンの話をしていた。

BGMもなく、アナウンスが粛々と話をしていた。

「雨を浴びたら、ただちにシャワーを浴びて・・・」

確かそんなことを言っていて、放射性物質についての話しなんかをしていたような気がする。テレビと違い、音だけ。怖さが生々しかった。

恐怖を覚えた。なにが起きているのか。真実はどこにあるのか。戦争が起きたらこんなふうになってしまうのではないか。

あの日は日本国民にとって特別な日になった。

四国でさえ無関係でなく、海への立ち入りは禁止されていた。

東北で起きた震災だけれど、日本中が影響を受けていた。

 

その日の夜泊まった漫画喫茶のテレビで津波の映像を見た。信じられない光景だった。

私たちは旅行の予定を変更し、一刻も早く小田原へ帰ることを目指した。

途中。ものすごいスピードで危ない運転をしながら走る車を見かけた。

それは、宮城ナンバーの車だった。

小田原に帰ってコンビニに寄ったらほどんど商品がなかった。

この先どうなってしまうのか不安を覚えた。

 

次の日からは被災地のためになにができるか調べた。

後輩と一緒に市役所に行き、情報を集めた。市役所だって混乱状態でとりあえずは義援金を集めることくらいしかまだ考えていないとのことだった。

このときの僕は若く体力が有り余っていた。大学最後の春休みということもあって時間もあった。お金はあまりなかった。だから義援金とかじゃなくて、どうしても現地に行ってなにかしたいと思っていた。

社会福祉協議会に行くと、やはりまだなにができるかわからないとのことであり、とりあえず動きがあれば連絡をしてくれるとのことで名前と電話番号を登録した。

なにもできないまま3月が終わった。

計画停電を経験した。

計画停電の思い出もまたたくさんあるけれど、それはまた別の機会に語りたい。

二ヶ月後、社会福祉協議会からボランティアの受け入れの連絡をしていただいた。

残念ながら仕事があり、いけなかった。

しかし、5月の後半、仕事先で被災地派遣をすることになり、選んで頂いた。

1週間被災地に行って復興作業に従事することができた。

イチゴのビニールハウスの中の土をひたすら運び出した。

まちを見た。被災のひどかったところをたくさん視察した。

見るだけではなく、この経験を役立てたいとそう思った。日本はどこだって災害の可能性がある。いつか僕の住む街が大きな災害に見舞われることだってあるだろう。そのときにこのとき見たこと、感じたことを大切に少しでも被害を少なくすることができればいい。

 

被災地の役に立ちたい。僕だけではなくその思いが確かに日本中にあった。

人は生まれながらにしたらその総てが善人であると思う。

この震災のとき、多くの人は困っている人の役に立ちたい、行動をしたいと思ったことであろう。

あのとき感じた恐怖や想い。それは少しずつ薄れていく。

もちろん、常に意識している必要はない。

誰だって怖いことは考えたくはない。

けれども、時間は進む。今日までの5年のように。1年1年時間は進む。

考えたくはないけれど、いつか関東にも大きな災害がやってくるだろう。

その時、人はあの日の教訓を活かすことが出来るだろうか。

いつなにが起こるかなんてわからない。備えて暮らしていつか来たその時にこの時の失敗を繰り返さなければそれでいい。

もう5年。まだ5年。

 

追記

あれから被災地に行けていないが、SNSで繋がっている人たちの情報やいまも訪問している人の話を聞くと5年たったいまでも復興したとは言い切れないところが数多くあるみたいだ。僕も、今年の夏くらいになんとか少し時間ができるかもしれない。そのときはもう一度、被災地に行き、少しの働きをしてそしていろいろ見ておきたいと思っている。

僕たちにとってはあっと言う間の5年だったが、彼らにとっては必死の5年だったのかもしれない。そういうことは正しく知っておきたいし、また、なにかしたい。いまは何も出来ていないし、こんな綺麗事を思うだけで行動に移せないかもしれないが、汚い事を考えるよりは綺麗事を考えるほうがいいだろう。


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