湘南ゴールドエナジーを作った理由。プロデューサー守屋佑一の雑記。

sge_flyerlogo_fix中学くらいから栄養ドリンクを愛飲していた。今も昔もギリギリで慌てる悪癖のある僕は中学時点でテスト前の一夜漬けが常で、家に設置してあるダイドーの自販機で販売していたアスパラドリンクをテストのたびに買っていた。

でも、栄養ドリンクは栄養ドリンクであって、エナジードリンクとはいえない。

僕とエナジードリンクの出会いは2006年春。

このころの僕は、高校野球のプレイヤーとして、厳しくとも素晴らしい監督の下、毎日毎日に死ぬ気で練習をしていた。

お世辞にも上手といえないプレイヤーの僕は、レギュラーをとるために、相手チームに勝つために藁にもすがる思いでなんでもいいから少しでもいいプレイができそうなものを取り入れていた。

疲労をとるために毎日お風呂に1時間入ったり、丹田にテープを貼ったり、真剣だった。

そんな時にコンビニで見かけた新発売だというエナジードリンク。エナジーという素晴らしいワードに惹かれ、正直高いなーと感じつつもあの赤い牛のマークの缶飲料に手をだした。

いままでに飲んだことのない味と刺激が走った。

体からエネルギーが発しられた。

そして、背中から翼が生えてきた。

その翼のおかげか、その日の練習試合では2安打することができた。

それからというもの、高校生のおこづかいでは、それを毎日飲むことはできないが、毎週末行われた県外合宿や大事な試合の日には必ず飲んだ。

2007年からは大学生ということもあり、夜通し遊んでから学校に行くことも増えていた。

ちょうどいいタイミングで赤い牛のマークを追随するように様々な種類のエナジードリンクが発売された。

特に好きだったのはロックスターエナジードリンク。名前がかっこいいし、味も好みだし、相性が良かったのかなんだかとても効くように感じた。

最近ではあまり見かけなくなったのが少し悲しい。

こんな感じで順当にエナジードリンクジャンキーと化していった。

ぼくは、コーヒーがあまり好きではないので、みんながコーヒーでとるカフェインをこのエナジードリンクで体に取り入れていることもエナジードリンクファンになったことに関係しているだろう。

2011年、卒業旅行で仲間といったグアムではまさしく歓喜した。

日本では売ってない種類のエナジードリンクが、しかもとても多い内容量の缶で販売されていたからだ。ここぞとばかりに飲みまくったし、たくさん買って帰った。

社会人になってからもエナジードリンクを飲み続ける日々は続いた。

特に大事な日は必ず、飲んだ。

そして、2013年。出張で長野で行われている花の展示会にいった時のこと。

朝の4時半に集合して、僕の運転で農家の方を連れていったこの出張。

早朝からのロングドライブ。もちろんエナジードリンクの出番。

ということで、エナジードリンクを購入しようと山梨でサービスエリアに寄った矢先にそれを発見した。

ご当地エナジードリンクだ。

それは、山梨の桃を使用したエナジードリンク。

僕の体に電撃が走った。

こういうのもありなんだ、と。

その時はちょうど6次産業の面白さを知り、仕事でもいろいろ携わっていたこともあり、心に決めた。

湘南ゴールドをエナジードリンクにしよう、と。

湘南ゴールド。神奈川県が産んだ新感覚オレンジ。幻の柑橘。

その爽やかな香りとパイナップルをも思わせる甘い味でファンを増やしている。

なにより特筆すべきはその名前。

湘南という地名とゴールドの持つゴージャス感。まさにそのままの名前でエナジードリンクにぴったりで、この頭の中にあった考えを実現したいという思いがあった。

あれから3年。

この5月19日にUMEMARU Inc.初のエナジードリンク「湘南ゴールドエナジー」は発売する。

湘南ゴールドエナジーは飲む人の黄金の経験をサポートする。

特に、神奈川は金時山、明神ヶ岳をはじめとする登山だったり、サーフィン文化が盛んで、このエナジードリンクが活躍する場はたくさんあるだろう。

僕もこれから、今まで以上に黄金の経験をたくさんしていくつもりだ。それにもこのエナジードリンクが役に立つだろう。

このエナジードリンクには、本物の湘南ゴールドの果汁を使用している。

もちろん農家として僕が栽培した湘南ゴールドも入っているし、青年部の仲間が栽培したものや湯河原で作られたものなど一流の湘南ゴールドもたくさん使用した。

湘南ゴールドの果実は、限られた時期にしか食べることはできない。

だけど、このエナジードリンクはいつでも飲むことができる。

そして、湘南ゴールドエナジーはエナジーだけでなく、積極的に湘南ゴールドのすべてに関わっていく。これから色々な企画も世にだしていく予定だ。

農学博士であり、湘南ゴールドの開発者で僕の師匠の真子正史氏も公認。

また、エナジードリンク評論家の福田慎一郎氏にも開発に携わっていただいた。

神奈川発のエナジードリンク。神奈川発の湘南ゴールド。

湘南ゴールドエナジードリンク。5月19日、発売。

UMEMARU Inc.代表

守屋佑一

梅丸復活秘話4

動画投稿サイトのyoutubeで「アニメ 小田原夢祭り」と検索してみてほしい。

https://www.youtube.com/watch?v=wx2VILbLYFY

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貴重な動画を見ることができるだろう。この動画は梅丸が誕生した当時小田原がTVKなどに流していたテレビCM。アニメで描かれた梅丸が多彩な表情を見せ、有名声優に声を当てられ喋っている。今でさえこんな先進的なことをやっている自治体はそう多くはないだろう。小田原は新しいことを嫌うということをいう人も中にはいるが、実は小田原はこんなに先進的なことも出来るのだ。

さらには最近発掘されたこの動画。なんと熱湯コマーシャルにも梅丸が登場している。

https://www.youtube.com/watch?v=DhQ4S-fG1e0

これだけではない。かつて、小田原城には大きな梅丸の山車が市役所に展示されていたことを覚えている方はいられるであろうか。

私はよく覚えている。たくさんの子供達が山車に登って遊んでいた。私は登りたかったのだが、まだ当時3歳か2歳。親に諌められ、乗ることは叶わなかった。いつか登ろうと思っていたが、いつしか梅丸の山車は姿を消した。

世にも珍しい一度消え、復活したご当地キャラクター梅丸。彼はどのようにして再び小田原に舞い降りたのか。その秘密に迫る衝撃連載第4弾。

山車のようにいつしか梅丸は姿を消した。市役所の壁や歩道などその痕跡を少しだけ残して。おそらく、1993年頃には姿を消したのではないだろうか。この理由は諸説あるがそのうちひとつに囁かれているのは首長の変更。梅丸を活用していた山橋市長が任期中に亡くなってしまい、首長が変更した。

そのときに方針が転換されたのではないかということがひとつ。そしてもうひとつは、当時の情勢だと町をあげてご当地キャラでなにかを盛り立てようという気運が小田原に限らず、まだ行政や市民の間になく、普通にときめき夢まつりの終了とともに使用をしなくなったということか。(もっとも、さまざまな話を聞くと、梅丸は当時からお土産に活用していたし、市民は梅丸に思い入れもあり、愛してもいた。一度滅びたからこそこの感情が増幅された可能性もあるが、市民は梅丸で町おこしをしたかったのではないか。)こうして、2013年に公式に梅丸が復活するまで梅丸は姿を消していたかに見えた・・・が、どうやらそうではなかったようである。梅丸のことを忘れていない団体は確かに、いた。

続く。

梅丸復活秘話3

梅丸—。

梅の侍。小田原が梅が名産で、侍がいた城下町ということが一目でわかる。私はご当地キャラというのは基本的にその町になにがあるかわかった方がいいと思う。もちろん、くまもんのようにそこになにがあるかを表していない事例もある。

むしろくまもんのほうが熊本県のどのプロモーションにも活用できて場合によっては、いいのかもしれない。

しかし、くまもんはちょっと事情が違う。くまもんの場合は、有名プロデューサーがプロモーションを担当し、当初は熊本でのプロモーションではなく、人が多く集まる大阪での活動を行い、グッズもたくさん出し、テレビにも登場。いわゆる全国展開まで視野にして芸能人的な売り出し方を行っていた。

その結果はみなさんご存知の通り大成功し、いまやくまもんのことを知らぬ人はいないといっても過言ではないだろう。

しかし、このやり方はどこの自治体もできるわけではないし、同じやり方をしてももう遅い。

ご当地キャラは必ずしも全国へ飛び出ていくのが成功例ではない。

その土地に来た観光客がご当地キャラを目にして、何が名産か一目でわかり、関連したものを購入したり見たりする。それもまたご当地キャラの成功例であろう。その点に関して、冒頭にも書いたように梅丸には小田原になにがあるのか一目でわかるデザインとなっており、優秀なご当地キャラだと言えるだろう。

前置きが長くなったが、梅丸がどのように衰退し、そしてまた復活したのかに触れる連載梅丸秘話第3話。

前回書いたように、実にたくさんの梅丸グッズが作られた。

私は以前、梅丸の調査を行う中で、とある床屋さんを訪れた。ここのカウンターには梅丸人形が飾ってあった。店主も、梅丸の思い出を語り、もう一度、復活させてほしいと言った。他にもたくさんの声を聞いた。梅丸の復活を願う人々ばかりだった。梅丸が復活する前のことである。

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グッズだけではない。キャラクターといえば着ぐるみ。現在は復活し、いろんなところに梅丸が現れているが、実は当時も着ぐるみは作成されている。本日掲載されている写真は当時の小田原市の広報誌のものだ。梅丸の着ぐるみがたくさんの笑顔の子供達とともに写っている。着ぐるみだけではない。子供達の手に持っているのはなんと梅丸の顔を模した風船だ。他にも、当時の広報誌には、市長が梅丸に模したイラストなども掲載されていた。(小田原市の広報誌のバックナンバーは、小田原市ホームページより見ることができる。)

このように、梅丸誕生当時は本当に、フィーバーしていたのだ。しかし、いつのころからか、梅丸は姿を消していくことになる・・・続く