日本初!?のキャンピングカーのアパレル店が登場。その名もデニムマン。

日本初!?のキャンピングカーのアパレル店が登場。その名もデニムマン。

小田原にはかつて、意外と多くのアパレルショップがあった。特に街中には若者が集まるようなアパレルショップも少なからずあった。しかし、いつからか少しずつ姿を消した。

そんな小田原エリアに日本初!?のキャンピングカーを活用したジーンズショップが登場した。その名もデニムマン。デニムマンを経営するのは小田原出身の新倉健一郎氏。デニムマンを始める前は市内成田のアパレルショップで働いていた。このような職歴。そして前例のないキャンピングカーでのデニムショップというチャレンジから夢はでっかく「小田原のファッションシーンを変えること!」と、思いきやどうやらそうではない模様。

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新倉氏は、自身が人の役にたつためになにができるか考えた結果、長年行っていた仕事のスキルを活かしていくべきではないかというまさにリアルな理由でデニムマンを始めたという。

扱うデニムもキャンピングカーという形態から多くは在庫を持てない。

なので、いいものを選んでしっかり扱っている。

しかし、けっしてデニムについて語り尽くせるようなマニア向けの商品ではなく、あくまで日常的にデニムを履き、ちょっとだけオシャレをしてみたいという普通の人向けの良いものを取り扱う。販売だけではなく、穴の空いてしまったデニムのリペア(修復)も行っている。

そのためにはまずは興味を持ってもらうことということで、キャンピングカーの販売のみではなく、積極的にイベントにも出店。

つい先日は小田原市宮小路にあるシェアスペースでの出店を行った。

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新倉氏はイベントなどで見かけることがあれば遠慮せずに声をかけてほしいと言っている。すぐにその場で買わなくてもいい。そこから繋がり、メールなどでこんなデニムが欲しいとの内容やリペアをしてほしいなど投げかけてくれれば、そのお客さんに合った商品、提案を揃えて伺うとのこと。

そう、デニムマンは神出鬼没でもなく、どこで売ってるでもなく、呼んでもらい、一人一人の顧客に向き合い、提案する商談型のアパレルショップなのだ。

個人で呼ぶのに気がひけるという方は、例えばママさんグループを集めて公民館やオフィスなどにも依頼があれば馳せ参ずる。

デニムマンが来ることで使用されていなかった場所も意味のある場所へと変わる。まさに場所の有効活用。場所がなくとも、車が停めれる場所があればそれでいい。

デニムマンの連絡先は080-4200-1026またはdenimman50@gmail.comまで。きっとあなたにぴったりのデニムを持ってきてくれるはず。

このインタビュー自体もデニムマンの営業車、いや、店舗のキャンピングカー内にて行った。広い車内はまさにオフィス。心地よい空間に仕上がっていた。

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日本初!?のキャンピングカーのアパレルショップ「デニムマン」の物語はまだ始まったばかり。これから幾多のドラマがこの空間に刻むこまれることだろう。

新倉氏に小田原のファッションシーンを変えるという目標はないかもしれないが、この物語が続いていけば、必然的に小田原では新倉氏が提案したデニムを履く人が増えているのではないかという期待が感じられた。

ちなみに4月6日水曜10時から16時までは箱根麦神に出店予定なのでお時間ある方は是非。

デニムマンのHPはこちら。

小田原市早川の庄太郎だけで飲める新名物、湘南Gサン

横須賀ブラジャーをご存知でしょうか?

女性がつけるあのブラジャーではありませんw

神奈川県横須賀市のご当地カクテルで、「ブランデー+ジンジャーエール」なのです。

飲むブラジャー!横須賀ブラジャーって何? – NAVER まとめ

http://matome.naver.jp/odai/2136696380264260401

このカクテル、実は小田原でも飲むことができます。早川にある庄太郎というレトロな外観の知る人ぞ知るラーメン屋兼飲み屋。

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あの、鎧塚シェフも来たことがあるという早川の人たちの行きつけのお店です。

ここのマスターが横須賀出身ということもあり、横須賀ブラジャーを出しています。

さて、横須賀ブラジャーはもちろん安定の美味しさですが、ここで飲めるご当地カクテルは横須賀ブラジャーだけにあらず。

もう一つ、ここでしか飲めない小田原カクテルがあるのです!

その名も「湘南Gサン」!!!

湘南でサーフィンをしているファンキーなジィさんをイメージされた方も多いでしょうが、それは違くて、このお酒には幻のカンキツと言われる神奈川のリーサルウェポン「湘南ゴールド」を使用しているのです。

焼酎に湘南ゴールド+炭酸。

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湘南ゴールドを略して湘南G。そして炭酸のサンで「湘南Gサン」

横須賀ブラジャーに負けず劣らずなかなかいいネーミングじゃあないでしょうか。

実はこれ、4年前に当時僕がいた職場の先輩たちと庄太郎で飲んでたときにマスターにお願いして作ってもらったもの。

今のところは庄太郎にしかありませんが、小田原発の神奈川カクテルとして、どんどん広がっていって欲しいですねー!

お酒に湘南ゴールドの芳醇な香りが加わり、味も最高です!

・・・実はいま、とあるオペレーションのために湘南ゴールドをたくさん集めて余っていますので、もしこのお酒を実践したいお店などがあったらご相談ください!
もちろん庄太郎はお酒以外のラーメンやおつまみなども充実していて食事でも、呑みでもどちらでも楽しくすごせます。個人的にはバターご飯がおすすめ!

昔、みかんの貯蔵庫だったという建物をリノベーションした空間は居心地も最高。

150x150_square_4477005早川で呑む際は是非、庄太郎へ!

湘南Gサンだけでなく、僕の同級生が働く東京都荒川区のバーではこんなおしゃれな湘南ゴールドカクテルも!!

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UMEMARU Inc.代表

守屋佑一

 

mori19880519@gmail.com

Kouminkan Cafe MANIA 映画について語る会、開催

みなさん、最近映画観てますか?

僕は今年に入ってはまだガルパンくらいしか見ていません。

昨年は結構見て、そのなかでも以前ブログに書いた「スターウォーズ」は早くも続きが気になります。あと昨年はももクロ主演の「幕が上がる」もめちゃくちゃ良かった。

小田原出身の夢枕獏氏原作の「神々の山嶺」も早くみたいですねー。ちなみに原作も読みました。そして何より最近ネパールに行ってきたばかりなので、とても楽しみです。

と、いうことで唐突ですが3月27日(日)に約半年ぶりとなるKouminkan Cafe(公民館カフェ)を開催します!

Kouminkan Cafeとは?

今回は、みんなで好きなことについてわいわいと話すMANIA。

来年立ち上げ予定のSeisho Cinema Fesとの合同開催で、映画について語る会です。

以前行った際は

・初めて見た映画

・最近見た映画

・人に勧めたい映画

について。

今回はこの話題に加えて、様々な映画祭を観て、関わってきたSeisho Cinema Fes代表の青木氏が映画祭の魅力などについて話してくれます。

ちなみに僕は映画のなかでも特に作中の小道具や販売しているグッズの話をするのが好きですね。バクマンは小道具が良くて、目が離せず面白かった・・・

場所は小田原市荻窪752の荻窪公民館です。小田原でもかなり古い部類の公民館ですが、大きな駐車場もあり、使用料金も安いので使いやすさには定評がある公民館です。

参加費500円。

参加はFacebookまたはmori19880519@gmail.comより連絡ください。

あー、映画見る時間がない・・・

僕のスターウォーズコレクションはUmemaru SHOPでネタ的販売しています。

Kouminkan Cafe主催

守屋佑一

参加はこちらから

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選挙

先日、すぐ近くの町で町会議員選挙があった。

SNSでも選挙に関わっている人たちがたくさん投稿をしていた。

そして今回も選挙に対して昔から感じている違和感を感じた。

誰もが選挙を「戦」という。

「戦」なのだから、「勝つ」という。

選挙戦に勝ちたい、勝つため、とかいう。

でもそれってなんか違うんじゃないか。

有権者は勝たせたいから投票するのではなく、候補者の持つビジョンに共感して、そのような未来になればいいという想いを込めて投票するのではないだろうか。

公約もビジョンも書いていないポスターを町にたくさん貼る政治家。あれもどうかと思う。顔を売ってどうするのか。売りたいのは政策やビジョンじゃないのか。

選挙カーも、本当に必要なのだろうか。

 

そろそろ選挙を「戦」というのを止めませんか。

勝った負けたというのは止めませんか。

必要ないポスターはやめませんか。

震災から5年。

日本国民の誰もが忘れられない日となった2011年3月11日。

早いもので、5年の時が経った。

もう5年。まだ5年。

あの時のことは今でもよく覚えている。

私は大学の最後の春休みということもあり、四国に友人と卒業旅行に来ていた。

松山城に登るケーブルカーの中で何気なくSNSを見たら小田原にいる知人たちがなにやら騒いでいた。はっきりと地震とは書かれていなかったので、一体なにが起きたのだろうという感じでぼんやりと眺めていた。

ケーブルカーに同乗していたおじさんが関東大震災が来たらしい、ということを話していた。僕らは関東から来たことを告げた。不安になった。

情報が錯綜していた。

SNSやインターネットの発達から瞬く間に被害状況等が出回った。

けれども、この規模の震災であれば正確な情報を取得するのは難しかった。

関東大震災ではなく、東北の地震だったとわかったのは何時頃だっただろうか。

ガス火災の影響で悪い物質が雨と一緒に降ってくるというデマメールも流れていた。

四国を旅行中なので、テレビが自由に見れる状況ではなかったため車内でラジオをつけた。

原発のメルトダウンの話をしていた。

BGMもなく、アナウンスが粛々と話をしていた。

「雨を浴びたら、ただちにシャワーを浴びて・・・」

確かそんなことを言っていて、放射性物質についての話しなんかをしていたような気がする。テレビと違い、音だけ。怖さが生々しかった。

恐怖を覚えた。なにが起きているのか。真実はどこにあるのか。戦争が起きたらこんなふうになってしまうのではないか。

あの日は日本国民にとって特別な日になった。

四国でさえ無関係でなく、海への立ち入りは禁止されていた。

東北で起きた震災だけれど、日本中が影響を受けていた。

 

その日の夜泊まった漫画喫茶のテレビで津波の映像を見た。信じられない光景だった。

私たちは旅行の予定を変更し、一刻も早く小田原へ帰ることを目指した。

途中。ものすごいスピードで危ない運転をしながら走る車を見かけた。

それは、宮城ナンバーの車だった。

小田原に帰ってコンビニに寄ったらほどんど商品がなかった。

この先どうなってしまうのか不安を覚えた。

 

次の日からは被災地のためになにができるか調べた。

後輩と一緒に市役所に行き、情報を集めた。市役所だって混乱状態でとりあえずは義援金を集めることくらいしかまだ考えていないとのことだった。

このときの僕は若く体力が有り余っていた。大学最後の春休みということもあって時間もあった。お金はあまりなかった。だから義援金とかじゃなくて、どうしても現地に行ってなにかしたいと思っていた。

社会福祉協議会に行くと、やはりまだなにができるかわからないとのことであり、とりあえず動きがあれば連絡をしてくれるとのことで名前と電話番号を登録した。

なにもできないまま3月が終わった。

計画停電を経験した。

計画停電の思い出もまたたくさんあるけれど、それはまた別の機会に語りたい。

二ヶ月後、社会福祉協議会からボランティアの受け入れの連絡をしていただいた。

残念ながら仕事があり、いけなかった。

しかし、5月の後半、仕事先で被災地派遣をすることになり、選んで頂いた。

1週間被災地に行って復興作業に従事することができた。

イチゴのビニールハウスの中の土をひたすら運び出した。

まちを見た。被災のひどかったところをたくさん視察した。

見るだけではなく、この経験を役立てたいとそう思った。日本はどこだって災害の可能性がある。いつか僕の住む街が大きな災害に見舞われることだってあるだろう。そのときにこのとき見たこと、感じたことを大切に少しでも被害を少なくすることができればいい。

 

被災地の役に立ちたい。僕だけではなくその思いが確かに日本中にあった。

人は生まれながらにしたらその総てが善人であると思う。

この震災のとき、多くの人は困っている人の役に立ちたい、行動をしたいと思ったことであろう。

あのとき感じた恐怖や想い。それは少しずつ薄れていく。

もちろん、常に意識している必要はない。

誰だって怖いことは考えたくはない。

けれども、時間は進む。今日までの5年のように。1年1年時間は進む。

考えたくはないけれど、いつか関東にも大きな災害がやってくるだろう。

その時、人はあの日の教訓を活かすことが出来るだろうか。

いつなにが起こるかなんてわからない。備えて暮らしていつか来たその時にこの時の失敗を繰り返さなければそれでいい。

もう5年。まだ5年。

 

追記

あれから被災地に行けていないが、SNSで繋がっている人たちの情報やいまも訪問している人の話を聞くと5年たったいまでも復興したとは言い切れないところが数多くあるみたいだ。僕も、今年の夏くらいになんとか少し時間ができるかもしれない。そのときはもう一度、被災地に行き、少しの働きをしてそしていろいろ見ておきたいと思っている。

僕たちにとってはあっと言う間の5年だったが、彼らにとっては必死の5年だったのかもしれない。そういうことは正しく知っておきたいし、また、なにかしたい。いまは何も出来ていないし、こんな綺麗事を思うだけで行動に移せないかもしれないが、汚い事を考えるよりは綺麗事を考えるほうがいいだろう。

足柄梨秘話 歴史編

久野編はこちら

いよいよ今月末に迫ったUMEMARU Inc.がプロデュースする吉田島レモンサイダーに続くご当地サイダー第2弾「足柄梨サイダー」。

実は小田原の鬼柳や足柄上郡大井町は伝統ある梨の生産地で、昔から「足柄梨」という名前で呼ばれ(品種名ではありません)ファンも多く、親しまれて来ました。

前回の吉田島レモンサイダーは、「吉田島総合高校(元吉田島農林高校)」の高校生たちが丹精込めて栽培したレモンを使ったサイダーでした。

このサイダーは地域や農産物をPRする商品というより、高校生の栽培した農産物というストーリーが主。

しかし、今回は「足柄」の地名を冠した商品ということで新たなストーリーで地域のファンが増えることを目指しています。

さて、知る人ぞ知る足柄梨ですが、そもそも足柄梨とはなんぞや、ということで今回は足柄梨の歴史についてご紹介します。

 

足柄梨写真2

足柄梨とは、神奈川県西部で生産された梨のことをいいます。上でも書いた通り、品種名ではなく、この地域で生産された梨の呼称です。 天保時代(1830年から1843年)にまとめられた年間に既に現在の山北町で梨の栽培がされていた記録が残っています。

ただし、この頃にはまだ足柄梨とは呼ばれてはいなかったようです。

足柄梨と呼ばれるようになったのは明治の末頃から大正にかけて。

大正9年には梨の組合が作られました。ちなみに私は約100年の樹齢の足柄梨の木を見せていただいたことがあります。

この組合の初代組合長は河野治平氏。 なんと現在国会議員を務める河野太郎氏のご先祖さまで当人も県会議員を務めいていたそうです。

現在栽培されている足柄梨の種類は主に幸水・豊水・長十郎などを栽培している方が多いのではないでしょうか。中には愛宕という冬に食べれる大型の梨を栽培している方もいます。

梨の栽培には水がたくさん必要ということで綺麗な地下水がたくさんある足柄地区はまさにうってつけだったのでしょう。 梨の時期になると大井町を走る国道255線などで梨の直売の看板が目につき、美味しい足柄梨を食べることができますので、夏には是非食べてみてください。

足柄梨を使った加工品は現状多くはありません。

現在インターネットで出てくるのは日本のうまいさんの足柄梨の生姜焼きのタレくらいでしょうか。 加工品には、通年で販売が可能になり、農産物のブランド力を上げていくことにつながり生果の販売にも良い影響を与えます。

今月末発売の足柄梨サイダー、是非味わってみてください!

さて、そんな足柄梨ですが、栽培が難しいこともあり、現在足柄上郡では栽培者が減っているのが現状です。大井町では現在数件、開成でも1件。

サイダーにした足柄梨はまたまた神奈川県立吉田島総合高校の生徒が栽培した梨。将来的には生産者のものも使うことができれば。 あ、吉田島レモンサイダーも現在おかげさまでほぼ完売!ということで先日今期に吉田島総合高校の果樹の生徒たちが栽培したレモンを再び果汁にしました。近々2年目の吉田島レモンサイダーがリリースされますのでこちらも宜しくお願い致します!

農産物のブランド化の目標

UMEMARU Inc.代表

守屋佑一

参考文献 郷土の特産物の記録 足柄梨生産の歴史 相洋高等学校史跡研究部 (小田原市立かもめ図書館で借りることができます)

農業の隠れた問題3

小田原の日刊神静民報で連載させていただいている「農業の問題」シリーズ第3弾をリリースさせていただきました。

私も昨年の暮れはミカンの収穫収穫アンド選果に勤しんでおりました。

農業体験してみたいかたとかいませんかねー?

以下、本文!

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寒い日が少しずつ減り、暖かい日が増えてきて春を感じさせる今日この頃。

春の農業は野菜の定植やは種、そしてその準備のため農業が忙しくなってくるという人も多いだろう。しかし、春だけでなく冬から1月にかけてが繁忙期という方も小田原には多くいられるのではないだろうか。

小田原で古くから栽培されている温州ミカン。このミカンの収穫期がまさに冬の初めから1月くらいまでだからだ。ミカンは比較的栽培もしやすいことから稲作と並んで兼業農家としてミカンを栽培している方も多いことだろう。

本日ご紹介する農業の問題は

以前にも書いたが、私も兼業農家でミカンを主に栽培している。

冬の間は時間があればミカンの収穫と選果作業に祖父と共に追われていた。

私は収穫のみに限ればとても好きな作業であり、実は毎年楽しみにしている。ひたすらにミカンにハサミを入れカゴに入れていく。無心で打ち込めるし、疲れたらミカンの味見を行ったりしてとても楽しい。

しかし、収穫の作業はただ収穫をするだけではない。収穫したミカンを小屋にしまったり、トラックに積んだり、貯蔵したり様々な作業が付随する。ミカン用のコンテナにミカンを入れるとその重さは約20キロ。これを何度も何度も上げ下げする作業は正直楽ではない。

当たり前だが人は老いる。私も体力に自信があるほうであったが20代の後半に差し掛かり、確かに体力の減少を感じている。その歳でなにを言っているのだと思われるかもしれないが、昔はもっともっと体力があってそれこそ休み無しで動き続けられたものだが、最近はそれができない。20歳代でさえこうなのだ。

諸先輩方はもっと厳しいはずである。私の祖父は80歳代。サラリーマンであればまずありえない高齢だが、農業を営む人ではざらにいる年代。作業は熟練されても、どうしたってコンテナを持つことが辛くなる。人出がいればまだいいが、中には人出がいないお年寄りも多くいるのではないか。

収穫はとにかく人の数がいればいるほどいい。しかし、子供が遠くに住んでいる等の理由で手伝いが期待できない方もいる。我が家は幸い、私が兼業農家として農業を行い、祖父一人に収穫作業をさせないで済んでいる。

私の友人も何人か手伝いに来てくれる。無償奉仕ではもちろんない。

そこに利益が存在している以上、もちろ対価がないといけない。私の敬愛する二宮尊徳氏の言葉に「道徳なき経済は罪悪であり 経済なき道は寝言である」という言葉があるが、資本主義社会である以上完全なる無償奉仕というのはめったなことではあってはならないと私は思っている。

ただそれにも大きな壁がある。日本はとかく副業に厳しいので、なかなかバイトとみなされることをやりたがらない人もいるし、もちろんたまの休みは体を休めたいというのが本音だろう。

人を雇うということは本当に大変だ。

ただやはり農業だけで通年で人を雇用したり食っていくというのは本当に難しい。

もしこれを読んでいる人の中で普段忙しく家の農業を手伝えない方もシーズンに一度くらい、いや、一時間くらいはなんとか時間を作って父や祖父を手伝ってみてはいかがだろうか。普段やらない仕事をすることで新たな気づきも得られるかもしれない。

宣伝で申し訳ないが私の栽培した極早生玉ねぎが森永牛乳小田原販売(小田原市荻窪180)の農産物直売所に3月下旬から出荷されるので、興味のある方は是非買いにきてほしい。ほかにも地域の農産物を販売している。

次回は、農業の技術についてお話ししたい。

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農業の問題